
写真提供:日刊工業新聞/共同通信イメージズ
起業家(アントレプレナー)とは、特別な才能を持つごく一部の人だけを指すのか。それとも、誰もがなり得る存在なのか――。本稿では『アントレプレナーズ』(澤田貴之著/創成社)から内容の一部を抜粋・再編集。さまざまなケースを通じ、時代を超えて必要とされるリーダーたちの姿に迫る。
デジタルシフトの嵐の中、多角化と技術革新を重ねながら光学技術メーカーとしての強みを最大限に発揮し続けたキヤノン。その力の源泉はいったい何だったのか。1960年代から現在に至る業界の栄枯盛衰を踏まえ、同社の戦略を解き明かす。
本稿は「JBpress Innovation Review」が過去に掲載した人気記事の再配信です。(初出:2025年9月3日)※内容は掲載当時のもの
カメラメーカーの栄光と挫折 キヤノンの多角化戦略

『 アントレプレナーズ 』(創成社)
伝統的な産品などを除けば、企業は常にその内部において開発と技術革新を重ねて存続してきたが、製品そのものや業界全体が衰退してしまう場合、その苛烈な嵐に抗い存続できる企業が一握りなのも事実である。
メーカーにとっての主力製品が市場における需要の限界に直面した時に、企業はどのような対応をすればよいのだろうか。デジタルシフトの中でフィルムメーカー~(本書内では)富士フィルムの多角化にはすでに言及したが~、肝心のカメラメーカーの場合はどうであったろうか。
デジタルシフトに対応して、キヤノンやニコンなどの日本の主力メーカーは、一斉にフィルムカメラからデジタルカメラの製造販売にシフトした。しかし、事はこれで終わらなかった。高性能なカメラを搭載したスマホの登場は、日常的な撮影においてはスマホに席を譲らざるを得ない状況にカメラメーカーを追い込んでいったのである。その結果は、カメラメーカーの間で多角化戦略の違いによって明暗を分けることとなった。
戦後、日本はカメラ王国の名に値するほど世界で知られるようになった。現在でもプロ・セミプロの使用する日本製カメラへの世界の信頼は厚いものとなっている。戦後日本のカメラメーカーはドイツのライカをコピーするところからスタートし、1960年代までには一眼レフカメラにおいて、米国市場で海外メーカーに対して圧倒的に優位な地位を築いていた。
ただし、日本国内では、それまでにカメラメーカーの過当競争が進行し、多くの中小カメラメーカーが破綻し消えていった。
カメラという製品特性から需要が一巡すると、買い替え需要を簡単に期待できないこともあって、大手メーカーにとってもカメラ以外の製品と事業の開拓はすでにこの頃から意識されていた。主要メーカーは1960年代以降、多角化の模索を続けたが、後述するようにその進捗度はメーカー間によって異なっていた。
日本のカメラメーカーだけでなく、世界の主要なメーカーも多角化を試みており、その成否の分岐点となった時期が1960~1970年代である。60年代には輸出量・額ともにドイツを抜いて、日本は名実ともにカメラ王国となっていた。世界の「日本=カメラ」のイメージは、こうした時期に形成されたものと思われる。
他方で国内カメラメーカー間の競争は厳しく、多角化の事業範囲はメーカーによって差があるものの、概ねOA機器、医療関連機器、光学機器分野などに集中していた。例えば、60年代時点においてもオリンパスは、胃カメラ、ファイバースコープ、眼底カメラ、マイクロカセット製造などに進出していた。しかし、海外では老舗のライカも多角化の進展が進まず、米国のメーカーも同様だった。
特にこの時期のカメラメーカーの動向としては、キヤノンの多角化戦略が業界間でも抜きん出ていた。同社の社史(キヤノン史編集委員会[1987])によれば、キヤノンは1962年からの5年間の第1次長期経営計画において、カメラ以外の売上商品構成をまず20%にすることを目標にしていた。
この長期計画初年度において、カメラは95%を占めていた。新事業分野開拓のために特機製作所と製品研究課が中心となり、1968年の第2次長期経営計画以降、事務機器と光学機器に比重を置き、 「右手にカメラ、左手に事務機」 というスローガンを打ち出していった。
当時はカメラ以外では卓上電子計算機や複写機が主な製造販売品目で、これらの製品は1969年には42%にも達するようになっていった。新事業における個別製品そのものにおいては、他社と同様に入れ替わりもありながらも、1980年代後半にはカメラ事業は4分の1ほどに売上構成比を落とし、代わって事務機器が大半を占めるようになっていった。
国産初の半導体焼付装置などが加わり、その後につながるOA機器、精密機器分野における事業部門の拡大が続いていったのである。
図表7-4は、大手カメラメーカー間の1990年代までの多角化率の推移を示したものである。
デジタル化を経てスマホが普及すると、大手の一角ではないが、多角化に遅れをとった中堅メーカーのチノンは、外資系OEMメーカーに買収されている。厳しい市場環境の中で、2000年代に入ってもカメラ事業を存続させてきた大手メーカーも次々とカメラ事業を売却し撤退している。
2006年のコニカミノルタによる(ミノルタの)カメラ・写真関連事業からの撤退(ソニーへ売却)、および2020年オリンパス、2011年ペンタックス(旧社名は旭光学)のカメラ事業のリコーへの譲渡は、今なお続くカメラ製品の市場と需要の限界を示す象徴的な出来事でもあった。
カメラメーカー(旧メーカーも含む)の受難はさらに続き、OA機器にシフトしたメーカーを次に襲ったのがペーパーレス化の波である。複写機・複合機に事業シフトしていたメーカーにとっては、さらに新たな事業部門の掘り起こしが急務となっている。
早い段階で事務機器部門の比重を高めていたキヤノンは、半導体製造装置などの精密機器部門の比重も高く、ここでも事業ポートフォリオの構成・多角化戦略において他社より抜きん出ていることで強みと耐久力を備えていることを証明することとなった。
結局のところ、図表7-4に見るように、カメラメーカーとして継続的な事業運営をして生き残ったメーカーは、今日ではキヤノンとニコンだけになってしまった。
裏を返せば、カメラの製品特性としての市場の限界によって、規模においてこの日本の大手2社を追うメーカーは国内外において現れにくくなっている。キヤノンについてもカメラ以外に、差別化された光学技術メーカーとしての強み(コア・コンピタンスの保有)があったからこそ、カメラ事業存続を可能にしてきたとも言えよう。
【主要著書】単著『ビジネスヒストリーと市場戦略』創成社,2022年。単著『アジア新興国のビジネス スタートアップから財閥まで』創成社,2020年。単著『アジアのコングロマリット―新興国市場と超多角化戦略―』創成社,2017年。単著『アジアのビジネスグループ 新興国企業の経営戦略とプロフェッショナル』創成社,2011年。単著『アジア経済論 移民・経済発展・政治経済像』創成社,2004年。単著『アジア綿業史論 英領期末インドと民国期中国の綿業を中心として』八朔社,2003年。単著『インド経済と開発 開発体制の形成から変容まで』(第2版)創成社,2003年。編著『アジア社会経済論 持続的発展を目指す新興国』創成社,2011年。共著『アジア経済の現状とグローバル資本主義』(第10章担当「インドEC 市場の成長とユニコーン企業の台頭について」)御茶ノ水書房,2022年。共著『新版 経営から視る現代社会』文眞堂,2014年。共著『現代経営と社会』八千代出版,2004年。共著『インドを知るための50章』(改定版)明石書店,2006年。
