写真提供:日刊工業新聞/共同通信イメージズ501キロの路線網を持つ日本最大の私鉄・近畿日本鉄道(近鉄)。その歩みは、鉄道会社の歴史であると同時に、沿線の未来をどう形づくるかという挑戦の歴史でもあった。駅員、そして広報として、長年現場を見てきた福原稔浩氏が、近鉄の発展を支えた数々の決断を振り返る『近鉄学 -元名物広報マンが解き明かす、日本最大私鉄の強さの秘密-』(ワニブックス【PLUS】新書)から一部を抜粋。ライバル私鉄との競争の中で育まれた、近鉄ならではの多角経営の考え方に迫る。
暮らしを丸ごとつなぐ、近鉄の経済圏

『近鉄学 -元名物広報マンが解き明かす、日本最大私鉄の強さの秘密-』(ワニブックス【PLUS】新書)
よく誤解されがちですが、近鉄のホテル事業や不動産事業は、鉄道の成功を受けた後追い事業ではありません。むしろ多くの場合、鉄道と同時に、あるいはその先の姿を見越して設計されてきました。
駅ができる。その駅を、誰が、いつ、どのように使うのかを徹底的に考える。
・通勤なのか、通学なのか。
・観光なのか、滞在なのか。
・平日なのか、週末なのか。
・朝なのか、夜なのか。
その利用者の姿が描けて初めて住宅が生まれ、商業が入り、ホテルが置かれる。社内のプロジェクト決定は、常にこの順番でした。
大事なのは鉄道とまちづくりを同時に進めること。この順番を間違えると、まちは一気に歪みます。歪むとは、鉄道とまちの役割がずれ、人の動線や時間の使われ方が噛み合わなくなることです。数字上は成功していても、計画書通りに進んでいても「悪くはないが、なんとなく使いにくい」そんな印象が残るまちは、静かに人から選ばれなくなっていきます。
駅前に立派な施設があっても、日常の動線から外れて違和感を感じれば人は定着しません。にぎわいがあっても、鉄道の時間軸と合っていなければ、人気は一過性で終わってしまいます。
やがてまちは気づかれないまま衰えていきます。私は現場を見てきたからこそ、「鉄道会社が不動産やホテルを手がける意味」を、言葉ではなく構造として理解しています。それは利益を多角化する以上に、鉄道が使われ続ける環境を、自らの手で整えるためだったのです。
ライバル私鉄との競争が、近鉄を鍛えてきた
東急、阪急、京阪。いずれも、まちづくりにおいて確固たる哲学と実績を持つ私鉄です。正直に言えば、「そこは完全に競合やな」と思う場面は何度もありました。けれど同時に、ライバル沿線を歩くたび、私はいつもこう感じていました。
「このまちは、この会社やからこそ成立している」と。
阪急には阪急の美意識があり、東急には東急の都市感覚があります。京阪には京阪ならではの歴史と観光の軸があります。どの会社も、自らの得意領域を磨き続け、沿線のまちの完成度を高めてきました。
近鉄もまた、その競争のただ中にいました。ただし、背負っていたものの性格が、少し違っていました。
近鉄は、大阪や名古屋という巨大都市圏だけを相手にしてきた会社ではありません。奈良の生活路線、三重の地方都市、伊勢志摩の観光地、さらには山間部の地域までを、一つの鉄道網として、切り離さずに抱え続けてきました。
人口が増え続けるまちもあれば、減少と向き合うまちもある。毎日使われる駅もあれば、季節によって表情を変える駅もある。そのすべてを「効率」で切り分けることなく、同じ会社が運び続ける。
ここで言う「背負う」とは、特別に苦労しているという意味ではありません。異なる条件、異なる時間軸、異なる役割を持つ地域を、一つの企業として同時に成立させ続けなければならない責任の総量を指しています。
他の私鉄も、それぞれに重さを背負っています。都市の完成度を高め続ける重さ、ブランドを磨き続ける重さ、大量輸送を支え続ける重さ。
一方近鉄は、都市と地方、日常と観光、成長と停滞を、同時に引き受けてきました。その前提があったからこそ、近鉄の多角経営は、派手さや即効性よりも、持続力を重んじる形になったのです。
短期的に映えるまちではなく、長く使われ、何度も戻ってこられる沿線をつくる。住宅も、商業も、ホテルも、そのための答えとして配置されてきました。私鉄同士の切磋琢磨があったからこそ、関西のまちは多様になり、面白くなったのです。
その中で近鉄は、最も条件の異なる地域を一つの網として支える役割を、引き受け続けてきました。私は現場を見てきた者として、近鉄の良さは、この「背負うことから逃げなかった姿勢」にこそあると感じています。
多角経営は「余裕があったから」ではない
第3章で描いた英断が、ある「瞬間」の決断だとすれば、多角経営は、その決断を日常として引き受け続けてきた「連続」の結果だと言えるでしょう。
近鉄が多角経営を進めてきたのは、余裕があったからではありません。むしろ逆でした。厳しい現実が、常に選択を迫ってきたのです。鉄道だけでは続かない。沿線に人が来なければ、列車は走らない。
観光が弱ければ、列車そのものを変えなければなりません。ホテル、不動産、観光特急。それは華やかな戦略論ではなく、現場から突きつけられた問いへの、連続した回答だったのです。
1956年生まれ。1975年に近畿日本鉄道に入社。駅業務、車掌(1977)、運転士(1984)、助役(1991)を担当後、1994年から近鉄広報部に所属(マスコミ対応や社内誌を担当)し、2011年にロケーションサービスを立ち上げる。鉄道知識に精通しており、『ブラタモリ』『鉄オタ選手権』(NHK)、『痛快!明石家電視台』(毎日放送)などの鉄道番組への出演や、東京、兵庫(西宮)、奈良のFMラジオ番組を担当。講演活動多数。その他、映画やドラマなども誘致し、国内外の有名監督などとも交友があり、数多くの作品にも参加している。2022年3月より『なら歴史芸術文化村』の総括責任者として着任している。