山積する社会やビジネスの課題。だが、経済学でその解決法が示されているケースは少なくない。行動経済学の第一人者・大竹文雄氏による書評集『経済学的思考を組み立てる』(中央公論新社)から一部を抜粋。多様な書物を手がかりに、「エビデンス」と「物語」を両輪としてよりよい判断につなげるための思考のヒントを提示する。
デューク大学のダン・アリエリー教授が書いた『予想どおりに不合理』を題材に、人間の意思決定のクセを読み解く。
私たちの不合理は「予想どおり」か

『経済学的思考を組み立てる』(中央公論新社)
デューク大学の行動経済学者ダン・アリエリー教授は、経済学および心理学の専門学術雑誌に数多くの論文を出している。その論文の特徴は、オリジナリティにあふれている上、誰もが興味を持つテーマをうまく選んでいることだ。『予想どおりに不合理』を読めば、アリエリー教授が楽しんで研究をしていることがよくわかる。もともと研究内容が面白い上に、書き方もユーモアあふれるものになっているので、本書がベストセラーになったのは当然だろう。
本書で取り上げられている「行動経済学」は、伝統的な経済学とどのように違うのだろうか。行動経済学の一番の魅力は、学ぶことで私たちの日々の生活を改善でき、仕事に応用できることである。
伝統的な経済学では、人々は非常に合理的で、完全な情報と計算能力を持っていて、常に自分の満足度を最大にするように行動していると考えられてきた。このような人間像はホモエコノミカスと呼ばれている。実際には、人間がホモエコノミカスではないことは、私たち自身がよく知っている。ホモエコノミカスを前提とした経済学を学んでも実務で役に立たないという感想を持つ人が多いのは、私たちの行動がもともと最善のものだったなら、経済学を勉強してもよりよい行動ができるようになるわけではないからだ。
逆に言えば、私たちの多くがホモエコノミカスではなかった場合に、初めて経済学を学ぶことでより高い満足度を得ることができる。私たちが「合理的」な意思決定と異なる意思決定をする場合、その「ズレ」は多くの場合ランダムではなく、一定の法則性が存在する。つまり、私たちの意思決定には、特定の方向に偏り(バイアス)がある。そのような意思決定のバイアスという「クセ」を様々な実験から明らかにし、経済モデルに取り入れて現実の経済の動きを説明しようという学問が「行動経済学」なのである。
本書の多くの章は、私たちがこうしたバイアスから簡単には逃れられないことを数多くの事例から教えてくれる。1章「相対性の真相」を読めば、私たちが絶対的な観点ではなく相対的な観点から意思決定をしていることに嫌というほど気付かされる。2章「需要と供給の誤謬」では、最初に与えられた無関係な情報に意思決定が依存してしまうアンカリング・バイアスの大きさを知らされる。3章では、「無料」と言われると合理的な意思決定からズレた行動をとりがちであることが示される。
私たちが金銭的な損得計算だけに基づいて行動しているわけではないことは、私たち自身がよく知っている。人の役に立つことが楽しいからする、人から尊敬されたいという動機で行動することも多い。では、金銭的動機と社会的動機は独立に存在するのかと言えば、そうではないことを4章と5章で思い知らされる。金銭的インセンティブでないインセンティブで頑張っていた人に金銭的インセンティブを与えた途端、その人の労働意欲が下がってしまうということは時々目にする。金銭的インセンティブが社会的なインセンティブを押しのけてしまう可能性があることを、私たちは頭に入れておくべきだろう。
アリエリー教授のすごいところは、私たちが合理的な行動を取らない場面を実験によって確かめていることだ。6章「性的興奮の影響」を読めば、私たちがいつも合理的な判断ができるというのは幻想であることを理解できる。
「ダイエットをしたいのにできない」「仕事がいつもぎりぎりになってしまう」というのは、誰しもが悩んでいることである。これは行動経済学では現在バイアスと呼ばれている特性が原因だ。私たちは常に「今」の楽しみを重視しすぎてしまい、少し遠い将来については「合理的」な意思決定ができても、それが「今」になると以前に決めた計画を反故にしてしまう。7章「先延ばしの問題と自制心」を何度も読み返すことで、この問題に対する対処法を見付けることができる。
一度手にしたら手放したくなくなってしまう「所有効果」、選択の自由を持ち続けたいという欲求、ちょっとした情報で味覚さえ影響を受けてしまう思い込みの力、そして私たちの不正行為の特性まで、本書は実に幅広いテーマを扱っている。不正直さの程度を明らかにするための著者の実験設計の巧みさには、改めて驚かされる。私たちは少しずつ不正をしやすいこと、しかしちょっとした工夫でその不正を減らすこともできると学ぶことができる。
本書は、行動経済学の最初の一歩として最適のものである。次の一歩としては、2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』がふさわしい。本書がお気に召した読者なら、アリエリー教授による『不合理だからすべてがうまくいく』『ずる―嘘とごまかしの行動経済学』も楽しめるだろう。ただし、皮肉なことに、『ずる』の中で紹介された彼の研究自体が、その後データの不自然さを指摘され『PNAS(米国科学アカデミー紀要)』から撤回された。なお、アリエリー教授は講演のうまさでもよく知られており、TEDでも講演がアップされている。是非、ご覧頂きたい。
ダン・アリエリー『予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』熊谷淳子訳、ハヤカワ文庫NF、2013年
1961年京都府生まれ。京都大学経済学部卒業。大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。大阪大学大学院経済学研究科教授などを経て、大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授。博士(経済学)。専門は行動経済学、労働経済学。2006年、日本経済学会・石川賞受賞。08年、日本学士院賞受賞。著書に『日本の不平等』(日本経済新聞社、2005年。サントリー学芸賞、日経・経済図書文化賞、エコノミスト賞受賞)、『経済学的思考のセンス』(中公新書、2005年)、『行動経済学の使い方』(岩波新書、2019年)、『あなたを変える行動経済学』(東京書籍、2022年)、『経済学者のアタマの中』(ちくまプリマー新書、2025年)など。
