
馬車から鉄道へ。既存の改良では届かない飛躍をシュンペーターは「新結合」と呼んだ。
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イノベーション、リーダーシップ、ファイナンス。ビジネスの主要理論は、時代を切り拓いた研究者や実務家たち一人一人の問題意識や人生の中から生まれてきた。『実践 MBAの流儀』(中央経済社)から一部を抜粋。イノベーションの概念を初めて定義したヨーゼフ・シュンペーターは、既存の要素を組み替える「新結合」こそが経済発展を生み出すと考えた。愛人と馬術に明け暮れた破天荒な経済学者は、なぜその発想にたどり着いたのか。
イノベーション、新規事業

『実践 MBAの流儀』(中央経済社)
イノベーションや新規事業、というとどのようなイメージがあるでしょうか。
イノベーターは周りのストップを物ともせず、リスクが高いところに飛び込む、最先端の技術を持つ、クリエイティブ、ひらめきに長けている人。そして企業側から見た場合、既存事業では成長の限界が見えてしまうため、大きく成長率を伸ばしていく手段としての、新規事業。このような印象はないでしょうか。それが今の日本には欠けているからクリエイティブに頑張って! と言われても急に無茶な…、と思われている渦中の方もいるかもしれません。
ここでは、魔法の言葉のようになっているイノベーションとはいったい何なのか、ということをイノベーションのスペシャリストである3人の人物像と共に見ていきましょう。
【よくある思い込みや状況】
・イノベーションとは最新のIT技術と天才のアイデアによるものである
・イノベーションとは全てを解決し、売上をエイヤっと上げてくれる魔法である
・検討しなければならない面倒なことを、スピード重視だと省略する
・「戦略的に」と言われて突然はじまる競合分析
・第2第3の柱が欲しいがいつまでたっても柱が育たない

●1人目 ヨーゼフ・シュンペーター(1883-1950 オーストリア=ハンガリー帝国出身)
元祖イノベーション。早熟で心理学、芸術にも精通。モットーは「ヨーロッパ一の美人を愛人にもつヨーロッパ一の馬術家として、そして世界一の経済学者として憶えられる」こと。

●2人目 ピーター・ドラッカー(1909-2005 オーストリア出身)
「現代経営学の父」。「経済学者」ではなく「政治生態学者」や「ライター」と名乗り、人を観察しながら、社会のためになることを考える。野球部のマネジメントをする「もしドラ」がヒットしたが、実際にアメリカのニューヨーク・メッツの教育をサポートした。

●3人目 クレイトン・クリステンセン(1952-2020 アメリカ出身)
イノベーションの第一人者。熱心なモルモン教徒で日曜日の安息日は家族と過ごすと決めている。203cmの身長を活かしてオックスフォード大学時代バスケットボールをしていたが、決勝戦が日曜日だったため不参加。
元祖イノベーション
ヨーゼフ・シュンペーターの「新結合」
シュンペーターは「イノベーションは『新結合』である。」と言いました。また、「古い伝統を打破して新しい伝統を創造する(=創造的破壊)」が経済発展につながる、とも言っています。創造的破壊はイノベーションのイメージと合致しそうですが、新結合とは何でしょうか。
■愛人と馬術と経済学
シュンペーターが生まれたのはオーストリア=ハンガリー帝国(現在のチェコ)です。幼いころに父を亡くしますが、教育熱心だった母は息子の将来を思い帝国の貴族と再婚します。母の期待どおり、シュンペーターは貴族のための学校、ギムナジウムに通うようになると、ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語をマスターし、その語学力を生かして様々な分野の本を読み漁ります。非常にませていて、周囲からは天才児と言われていたそうです。
卒業後はウィーン大学に進学し、シュンペーターは青春時代をウィーンで過ごしました。当時のウィーンは、19世紀の終わりころ。オーストリア=ハンガリー帝国の体制が限界を迎え、人々は空虚感を抱いていました。こうした時代背景から人々の関心は、外側にある社会から個人の内面や表現に向かいます。そして精神分析学者のフロイトや画家のクリムトなど、芸術や文化、医学と、様々な分野において革新的な人物が登場します。シュンペーターもその渦中で、経済学にとどまらず、語学、哲学、社会学など幅広い分野を学び、育ちました。
その後大学の准教授となりますが、乗馬用のブーツを履いたまま教授会に出席したり、図書館の司書と決闘をしたり、50歳過ぎまで女たらしの評判が続いたりと自由奔放な生き方をしていました。若くして才能を開花させていること1や、私生活の派手さから、批判されるときもあったようです。一方で学問に対しては真面目でストイックでした。指導している学生がシュンペーターと異なる理論を支持していても、それを寛容に受け止め、またファイナンスの理論に長けていたかつての教え子の授業を今度は自分が生徒として受講することもありました。
こうした破天荒なシュンペーターの様子をよく表しているのが、「ヨーロッパ一の美人を愛人にもち、ヨーロッパ一の馬術家2として、そしておそらくは、世界一の経済学者として憶えられる」という言葉です。シュンペーターはそのうち2つの目標は達成している、と語ったそうです。
■尊敬する経済学者とシュンペーターの疑問
シュンペーターは経済学者でした。そのため、企業の経営というよりも、経済のしくみや景気循環を研究テーマにしていました。
シュンペーターが尊敬する経済学者にワルラス3という人物がいました。ワルラスは「一般均衡理論」という考え方を生み出した人物です。この一般均衡理論は、言わば需要と供給の法則に関連するもので、すべての市場のバランスが取れた状態での製品の金額と、数量を計算しようというものです。経済学以外の学問もよく学び、そしてその考えを取り入れようという姿勢を持つシュンペーターは、物理の分野であった数式を経済に持ち込んだワルラスを称賛します。
しかし、そこでシュンペーターはワルラスの理論に欠けているものに気づきます。この「一般均衡理論」というのは、消費者も生産者もどこで何がいくらで売っているのかの情報をすべて持っている状態であり、売られている製品はすべて同じ品質のものであり…といういろいろな条件があり、世の中の動きを止めているような状態(静態)を前提にしていました。シュンペーターはそれに対して、現実は、もっと市場や経済を変えるような動きがある(動態)、と考えます。そして、その動きとは何か、を考えたときに、生産者のうち、「起業家(アントレプレナー)」という人々がイノベーションを起こし、市場や経済を動かしているのではないか、と考えたのです。
シュンペーターは、この起業家像に対して、新しいものを取り入れ、冒険心をもって新たな道を切り拓き、将来を作り上げる英雄のようなイメージを持っていました。
1 イノベーションという概念を生み出したのは29歳のとき。そして36歳で大蔵大臣に就任しました。
2 馬術はうまくはいきませんでした。若気の至りで馬術の才能があると思ってしまったことと、当時のオーストリアには優秀な騎手が多すぎたそうです。
3 レオン・ワルラスは経済学に数式を持ち込み、今の経済学のベースとなる一般均衡理論を生み出しました。シュンペーターは尊敬するワルラスに自分の本を送り、その後対面を果たしましたが、シュンペーターがあまりにも若かった(当時25歳)ため、ワルラスは彼が書いた本ではないと思い、「あなたのお父様の本、ありがとうね。」とお礼を言ったそうです。
社外役員を兼任するほか、専門的知識を「知っているから使えるに変える」触媒として、企業向け研修、起業家、大学生向けの講義なども行っている。横浜国立大学経営学部卒業。オーストラリア ボンド大学ビジネススクール(MBA)修了。
