
写真提供:共同通信社/World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ
2025年11月、没後20年を迎えた米経営学者ピーター・ドラッカーの思想が改めて注目されている。指示や管理を重ねるほど組織の自律性が損なわれるという指摘は、老子が説く「道法自然」の考え方とも通じる。両者が示す真のリーダー像とはどのようなものなのか。
『 戦略書としての老子』(原田勉著/東洋経済新報社)から一部を抜粋・再編集。老子とドラッカーの視点を手掛かりに、“部下に任せる”ことで組織の力を引き出すマネジメントの在り方を探る。
本稿は「JBpress Innovation Review」が過去に掲載した人気記事の再配信です。(初出:2025年12月24日)※内容は掲載当時のもの
部下にしたがうのが最善である

『 戦略書としての老子 』(東洋経済新報社)
和光同塵とは道を知覚することができず、なおかつ、「無(道)は、そこから展開する万物の邪魔をしない」ことを意味する。
このことを「道法自然」(老子「有物混成」)ともいう。これは「道は自然に法(のっと)る」と読む。
ここでいう「自然」とは万物を指し、言い換えると「道は万物にしたがう」ことになる。つまり、万物は道から発生したものの、その後の展開は自律的、自然(自ずから然り)なものであり、道はただその展開を見守るしかない。
それは指示を出した経営者やリーダーがその後の細かいフォローや追加指示を出すことなく、ただ事後的に報告されることを事後承諾しているだけの状況に近いだろう。この道法自然が意味するのが、次のメッセージだ。
「事態がうまく回っているときは、リーダーは部下にしたがうのが最善である」
余白の効力を組織で適用するのであれば、それは、権限委譲、セルフマネジメント、目標管理などが該当する。従業員一人ひとりの創造性、自律性を求めるのであれば、余白の効力が必要になる。
しかし、リーダーの立場になれば、なかなか部下に任せることができず、どうしても口を出してしまうことになる。というのも、リーダーは部下に任せるよりも自ら仕事をしたほうが効率が良いと思うからだ。
その結果、部下は育たず、リーダーの目の届く範囲では業務は順調に遂行できても、それ以外のところで問題が生じる結果になるかもしれない。これはナポレオン、義経、項羽が踏んだ轍(てつ)でもある。
余白の効力の対極に位置するのがマイクロマネジメントになる。もちろん、部下の自律性よりも正確性、再現性、画一性を求めるのであれば、このようなマイクロマネジメントもある程度は必要なのかもしれない。
しかし、確実にいえるのは、余白の効力がなければ、不測の事態に対応することはできないということだ。
禅籍『碧巌録(へきがんろく)』第三則に、「大用現前、軌則を存せず」というものがある。「大きな働きの前では規則などにはとらわれない」という意味だ。
老子でいえば、人為的に設定した規則ではなく、無の働きである無為に順応しなければならない。そのためには余白が必要になる。
ドラッカーが説く真のリーダーシップ
したがって、「完全に任せる場合」と「細かく指導する場合」との適切な棲み分けがポイントになる。
老子の教えは、対立する両極端の一方を排除したり、玉虫色に妥協することを推奨しない。それよりも、状況に応じて両極端を使い分けることを称賛する。
その際、「両極端のうちどちらの立場に立てば組織の勢いが強くなるのか」を考慮に入れる必要がある。
天地(てんち)は仁(じん)ならず【天地不仁】
この天地の間は、鞴(ふいご)のようなものである。その中は空であるが、取手を押せばいくらでも風が出てくるように、天地は無限に万物を生み出す。これを言葉で言い尽くすことはできない。黙って中(空)の働きを守っていくに越したことはない。
天地の根源としての無は、昔の送風装置である「鞴」のようなものになる。これはピストンをイメージすればよい。ピストンの空気を圧縮することでそこから空気が外に出ることになる。それは中身が空っぽであり空気の流れを妨げるものがないからこのようなことが可能になる。
轂(こしき)や茶碗、部屋と同じく、ピストンの中身もまた空っぽであり、他のものの運動を邪魔しない。ただ他の事例以上にピストンの例が顕著に示すのが、他のものの勢いを助長する働きを担っているという点だ。ピストンからは強い勢いで空気が排出される。
したがって、余白の効力は、
① 他者の邪魔をしない
② 邪魔をしないことで他の勢いを促進する
という2つの機能から構成されることがわかる。
実は、ピーター・ドラッカーが推奨するマネジメントとは、この余白の機能にほかならない。ドラッカーは、マネジメントの手法として、①権限委譲、②目標管理制度(MBO)、③セルフマネジメント、を強調する。
これらはすべてマネジャーが部下を直接管理することを回避したものだ。
部下に仕事を任せ、自らでその仕事を管理していくように仕向ける。それが権限委譲や目標管理制度であり、セルフマネジメントになる。マネジャーは部下の一挙手一投足を監視する必要はない。部下とミッションや目標について合意できれば、あとは全面的に任せるしかない。
この場合、余白の効果を生み出す「形」に該当するのが、権限委譲や目標管理制度になる。この「形」の下で、マネジャーは部下の仕事に介入することなく、部下の自律的な仕事の進展を黙認し、それにしたがう。
マネジャーがすべきなのは、部下の自律性を促進する働きかけだ。具体的には、ミッションの意義を繰り返し説き続けなければならない。それが、ピストンを押すことに該当し、その結果、空気が勢いよく排出されることになる。
したがって、マネジャーは直接的には何もしないけれども、ミッションの意義、権限委譲、目標管理制度という「形」によって部下の勢いを引き出す。
ドラッカーは真のリーダーシップとは、カリスマではなく、
「効果的な組織を構築する能力」
にあるとする。
いままでの議論からすれば、「組織」を「形」に置き換えたほうがわかりやすいだろう。つまり、リーダーには余白の効力に適した「形」を構築する能力が求められるのである。
この条件が整うと、マネジャーの存在自体が磁石のように部下に影響し、部下の自律的な行動を可能にする。このようなマネジャーは、率先垂範のリーダーとは大いに異なり、勢いを強化し、ただそれにしたがっているのである。
1967年京都府生まれ。スタンフォード大学Ph.D.(経済学博士号)、神戸大学博士(経営学)。神戸大学経営学部助教授、科学技術庁科学技術政策研究所客員研究官、INSEAD客員研究員、ハーバード大学フルブライト研究員を経て、2005年より現職。専攻は、経営戦略、イノベーション経済学、イノベーション・マネジメントなど。大学での研究・教育に加え、企業の研修プログラムの企画なども精力的に行っている。主な著書・訳書に、『OODA Management(ウーダ・マネジメント)』(東洋経済新報社)、『イノベーション戦略の論理』(中央公論新社)、『OODA LOOP(ウーダループ)』(訳・解説、東洋経済新報社)、『「価値」こそがすべて!』(訳、東洋経済新報社)、Economics of an Innovation System(Routledge)などがある。
著者HP:https://strategy-ooda.com/wordpress/