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501キロの路線網を持つ日本最大の私鉄・近畿日本鉄道(近鉄)。その歩みは、鉄道会社の歴史であると同時に、沿線の未来をどう形づくるかという挑戦の歴史でもあった。駅員、そして広報として、長年現場を見てきた福原稔浩氏が、近鉄の発展を支えた数々の決断を振り返る『近鉄学 -元名物広報マンが解き明かす、日本最大私鉄の強さの秘密-』(ワニブックス【PLUS】新書)から一部を抜粋。脱線事故発生時の情報開示から近鉄バファローズ解散会見まで、会見を成立させる広報の「泥仕事」と、平時から築いてきた記者との信頼関係が危機対応にどう効いたのかを紹介する。
不祥事対応は即日が基本

『近鉄学 -元名物広報マンが解き明かす、日本最大私鉄の強さの秘密-』(ワニブックス【PLUS】新書)
「一番悪い情報を、最初に隠さず広報に報告してほしい」
都合の悪い事実を後回しにすると、必ず別の形で表に出ます。広報による公式発表の後に、さらに悪い情報が明らかになれば、世間の印象は一気に悪化し、信頼は大きく損なわれます。安全という看板を失っては、鉄道会社は存在意義を問われかねません。
だからこそ広報は、最初の段階で最悪の想定を含めて事実を把握しておく必要があり、どう伝えるのかを判断するのです。
実際に、最初の段階で外部に出した情報は、次のような内容でした。
・事故が発生した場所(東青山駅構内)
・発生した時刻
・列車の状況(脱線転覆の事実)
・負傷者の有無と人数(確認できた範囲)
・運行への影響(運転見合わせ区間)
幸いにも、この事故では死亡者はおらず、重傷者も発生しませんでした。しかし、列車が脱線するという事態が起きた以上、私たちはこれを重大な事故として受け止めていました。原因については、憶測を避けるため、「現在調査中」と明確に伝えました。
分からないことは、分からないと伝える。その誠実さが何より重要だと考えていました。記者との関係も、このとき強く実感しました。発表後、顔なじみの記者から電話が入りました。
「福原さん、まだ大変でしょうけど、分かっていることだけでいいです。追加があればまた教えてください」
その言葉に、日頃の信頼関係の重みを感じました。普段から正確に、隠さずに伝えてきた積み重ねがあるからこそ、こうした場面でも冷静に受け止めてもらえる。記者との関係は、長い時間をかけて築く信頼の上に成り立っているのだと、改めて感じました。
記者発表後も対応は続きます。時間の経過とともに判明した情報を整理し、追加で発信する。その一貫性を保つことも、広報チームの大切な役割でした。
やがて復旧作業が進み、線路に再び列車が戻った光景を目にしたとき、胸の奥にようやく安堵が広がりました。同時に、無事に伝え切れたという静かな達成感もありました。
後日、「対応が早かった」「情報が分かりやすかった」という声をいただきました。もちろん、事故が起こらないことが第一ですが、その後の誠実な対応が信頼をつくることもあるのです。
緊急記者会見の裏側――泥仕事と一線
ところで、テレビで見る緊急記者会見の現場とは、いったいどんな様子なのでしょうか。会見場は一見すると静かです。壇上には会社の責任者と記者。それだけが記者会見のすべてのように見えます。
しかし、その裏側では私たち広報をはじめ、多くの社員や関係者が嵐のように動きまわっています。発表内容が重大であればあるほど、準備時間は極限まで圧縮され、関係部署との情報共有は秒単位で進みます。社内からは次々と追加資料や新たに判明した数字が私たちの手元に届きます。
会見場では照明や音響、席次の確認、報道各社の受付対応が並行して進行しています。会見開始までの限られた時間の中で、正確な情報を反映させた原稿を完成させるのは、なかなか大変なものです。
広報の仕事は、話す内容を考えることだけではありません。「話せる環境を整えること」もまた、重要な仕事です。忘れられないのが、2004年、近鉄球団の解散を発表した都ホテル大阪での記者会見でした。
近鉄バファローズは長い歴史を持つプロ野球球団であり、多くのファンに愛されていました。その解散は鉄道会社の一事業という枠を超え、スポーツ界、経済界、そして社会全体に大きな衝撃を与えた出来事でしたから、みなさまの記憶にも残っていることでしょう。
球団の解散に対する社会的関心は極めて高く、文字通り全国から報道陣が殺到しました。会社はこの事態に対して特別に広報チームを組み、私はチームの一員として、開始直前まで現場を駆け回りました。世間の注目を集めているニュースですから、表現について細心の注意を払います。わずかな言い回しをめぐって協議が長引き、予定時刻を過ぎても会見は始まりません。
会場の外ではテレビクルーが生中継の準備を進め、記者席では新聞・雑誌・テレビの記者たちが固唾をのんで開始を待っています。会見が始まるまで、広報チームの現場は、まさに戦場のような緊張感に包まれていたのです。
広報の仕事はいわゆる泥仕事です。原稿を何度も差し替え、会見場と控室を往復する。マイクの位置、カメラの位置、記者の導線、質問が集中しそうな論点の整理など、枚挙にいとまがありません。そして、その一つひとつが、会見の成否を左右します。
1956年生まれ。1975年に近畿日本鉄道に入社。駅業務、車掌(1977)、運転士(1984)、助役(1991)を担当後、1994年から近鉄広報部に所属(マスコミ対応や社内誌を担当)し、2011年にロケーションサービスを立ち上げる。鉄道知識に精通しており、『ブラタモリ』『鉄オタ選手権』(NHK)、『痛快!明石家電視台』(毎日放送)などの鉄道番組への出演や、東京、兵庫(西宮)、奈良のFMラジオ番組を担当。講演活動多数。その他、映画やドラマなども誘致し、国内外の有名監督などとも交友があり、数多くの作品にも参加している。2022年3月より『なら歴史芸術文化村』の総括責任者として着任している。