フィリップ・アギヨン氏(スクリーン中央)は2025年にノーベル経済学賞を受賞した
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 山積する社会やビジネスの課題。だが、経済学でその解決法が示されているケースは少なくない。行動経済学の第一人者・大竹文雄氏による書評集『経済学的思考を組み立てる』(中央公論新社)から一部を抜粋。多様な書物を手がかりに、「エビデンス」と「物語」を両輪としてよりよい判断につなげるための思考のヒントを提示する。

 2025年のノーベル経済学賞受賞者フィリップ・アギヨン氏の『創造的破壊の力』を題材に、日本経済が停滞した理由を読み解く。

創造的破壊の力

『経済学的思考を組み立てる』(中央公論新社)

 新型コロナウイルス感染症の経験は、私たちが思っていた以上に、日本経済の技術力が世界から遅れてしまっていたことを認識させた。ワクチンや治療薬の開発だけではなく、デジタル化の遅れも顕著だった。韓国や台湾といった東アジア諸国と比べても日本の対応の遅れが目立った。

 実は、技術の社会実装だけではなく、一人当たりGDPで見た生活水準も2023年には日本は韓国に追い抜かれたし、24年には台湾に追い抜かれた。これは、有形資産への投資だけでなく、研究開発などの無形資産への投資が韓国・台湾より後れたため、労働生産性が伸び悩んでいることが原因である。

 なぜ、日本経済はこのように停滞が続き、欧米との差が開いただけでなく、韓国・台湾に逆転されることになったのだろうか。『創造的破壊の力』の著者フィリップ・アギヨン氏らは、このような成長や停滞が生じること、格差が拡大することを、創造的破壊という概念で説明する。アギヨン氏は2025年のノーベル経済学賞受賞者である。

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「創造的破壊とは、新しいイノベーションが次々に生まれて既存技術を時代遅れにし、新しい企業が絶えず既存企業と競争し、新規雇用と事業が続々と創出されて既存の雇用と事業に置き換わっていくプロセスのことである」。そして、「創造的破壊は資本主義の原動力であり、無限の再生を可能にするが、同時にリスクや混乱ももたらす。よって適切な規制や指導のあり方を学ばなければならない」というのが『創造的破壊の力』の主張だ。

 創造的破壊をもとにした経済成長モデルは、オーストリアの経済学者であるシュンペーターの3つのアイデアをもとに、著者たちが数学的にモデル化したものだ。3つのアイデアは、次のとおりだ。第一に、イノベーションと知識の普及が成長プロセスを支えるというものだ。第二に、イノベーションの創出にはインセンティブと知的財産権の保護が欠かせないことである。第三に、創造的破壊である。

 創造的破壊はやっかいな問題をもたらす。既存企業、とりわけ大企業は、自分たちの守備範囲への新規参入を阻止するか、せめて遅らせようと創造的破壊をさせないように戦い続けることになる。「資本主義は、新しいイノベーションを阻もうとする既存企業の企てを抑えられないがゆえに衰退するという」のがシュンペーターの悲観的な見方だった。しかし著者らは、資本主義を適切に規制することは可能だと考えていて、具体的な提案が本書でされている。

 本書には、韓国はイノベーションによる創造的破壊の成長プロセスに移行できたが、日本はできなかったことが説明されている。著者らは、韓国がキャッチアップ型経済からフロンティア・イノベーション型経済による成長に転換できたきっかけは、アジア通貨危機だったという。

「IMFは韓国に対し外国直接投資の自由化を求め、外国人投資家による韓国企業への出資の上限は1997年に26%から50%へ、98年には50%から55%へ引き上げられた。IMFはまた、独占禁止法の大幅な強化と厳格な運用も要求する。その結果、危機前と1998〜2000年とを比べると、是正勧告の件数は3倍に増え、反競争的慣行に対する罰金額は25倍になった。こうした措置によって、韓国経済は国内でも国外でも競争への道のりを歩み始めることになる」。逆に、それまでキャッチアップ型経済成長を続けていた日本が、1985年以降に成長率が低下した理由は、競争を制限することでキャッチアップ型経済からイノベーション型経済への転換に失敗したからだと著者たちは指摘する。

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 既得権団体や既存企業が新規参入を阻み、競争志向の構造改革を阻止することが、フロンティア・イノベーション型成長への移行を困難にするのだ。競争を活性化することで新しい技術開発が行われ、経済は成長する。その際には創造的破壊が生じるので、一時的には失業が生じるが、それ以上に経済が成長するので、雇用も増えていく。アジア通貨危機は韓国企業を競争に直面させて、イノベーション型成長経済に移行させるきっかけになったのだ。

 確かに、創造的破壊は一時的に失業を増大させ、米国では健康にも影響を与える。しかし、デンマークでは創造的破壊の悪影響がない。デンマークには、医療制度、最低所得保障、フレクシュリティの整備がされているからだ。「イノベーション企業に解雇と新規雇用の柔軟性を与えると同時に、失業者に雇用可能性を保障する。手厚い失業補償と生涯にわたる職業訓練を組み合わせ、解雇された人が新しい雇用機会にスムーズに対応できるようにする」仕組みだ。

 創造的破壊による成長を阻むのは、「既存企業が政府と結託し、自分が登ってきた梯子を外してしまって新規参入を阻むといった事態」である。これを阻止することができるのは、市民社会の監視の目である。資本主義を望ましい形で規制し、より包摂的で弱者に優しく、かつ環境に配慮する方向へ導くことができるのは市民社会だという。しかし、創造的破壊の負の側面を重視しすぎると、創造的破壊による成長を止めることになる。どちらを選ぶかは私たちの選択だ。

フィリップ・アギヨン/セリーヌ・アントニン/サイモン・ブネル『創造的破壊の力―資本主義と改革する22世紀の国富論』村井章子訳、東洋経済新報社、2022年