写真提供:DPA/共同通信イメージズ知識やノウハウはネットを通して閲覧が可能になり、AIに尋ねれば瞬時に答えを示してくれる時代になった。それでもなお、“学びの質”や効率を高める人間の「師匠」の大切さは失われていない。『歴史の一流は「師匠」から何を学んだのか』(クロスメディア・パブリッシング)から内容の一部を抜粋。日本史の偉人たちが、優れた人物からどんな教えを受けてきたかを解説する。
北辰一刀流の創始者・千葉周作は、剣術道場の古い因習を見直し、伝わりやすい言葉で丁寧に指導した。そんな彼が弟子に、あえて“失敗”の経験を積ませた理由とは。
学びの楽しさを教えてくれる師なら勉強も苦にならない

『歴史の一流は「師匠」から何を学んだのか』(クロスメディア・パブリッシング)
周作は自身の道場において、木刀における形稽古を中心の剣術道場とは異なり、竹刀と防具を用いた稽古を導入しました。
従来の道場では木刀で形を打ち合うため、恐怖と外れて体に当たる痛みが半端ではなく、覚悟を決めてつづけられる人しか入門し、稽古を継続することができませんでしたが、竹刀と防具があれば稽古中に打たれても、それほど痛みを感じずに済みます。
さらに周作は、習得できる段位を思い切り減らすという改革もおこないました。
当時は流派によって二十段階以上の段位、階級があり、一人前になって独立するまでには何十年もかかる場合が多く、あまりの長さにうんざりして、途中で止めてしまう人も続出する――そんな道場も少なくありませんでした。
そこで周作は、習得する段位を初伝(しょでん)・中伝(ちゅうでん)・奥伝(おくでん)のたった三段階にまで減らし、簡単かつ短期間で、一人前になれるように、技法を設定したのでした。
しかも、三、四年ほど稽古に励めば、中伝まで達することができる教育課程(カリキュラム)であり、千葉道場では中伝になれば、自分で道場を開くことも許されました。
これほど魅力的な条件が揃っていれば、門下生が爆発的に増えたのも頷(うなず)けます。
抽象的な指導を止めて、具体的かつ丁寧に教えた
周作は、自分が弟子の時代に感じた「わかりにくさ」や「嫌だったこと」を踏まえ、それらを解消するように教え方を工夫しました。
浅利道場、中西道場では、師範や先輩は「正眼(せいがん)に構えろ。違う。正眼だと言ってるだろ」といったように、弟子あるいは初心者への指導が、抽象的で紋切型(もんきりがた)、言葉遣いも乱暴な傾向がありました。
そこで千葉道場では、「この角度でこうして構えて、目線はこうしましょう。そうすれば相手を見やすくなります」というように、立居振舞を具体的かつ丁寧に指導したのです。
さらに高弟に育ち、師範代となった人々に対する、段階的な指導手引きも用意することで、どの師範、先輩についても、道場生は均等に上達できる仕組みを作り上げたのでした。
このように書きますと、現代の若い方々は「やはり面倒臭い師弟関係より、合理的で気を遣わないで済むAIで十分だ」と短兵急(たんぺいきゅう/だしぬけ)に結論づけてしまうかもしれません。
しかし、師弟関係とはAIで代行できるほど単純なものではないのです。
周作も、常に正解にたどり着く最短距離の技術的知識だけを教えていたわけではありませんでした。
その道場生がいずれ師範として巣立つ将来を見据え、自分で考えて学ばなければならない試練の経験も、十二分に踏まえて、指導の中に加えていたのです。
それは端的にいえば、「失敗」の経験を積ませることでした。
技術を習得していく過程には、ある段階で壁にぶち当たり、自らもがき苦しんで何かをつかみ取らなければならない時期が、必ず訪れます。
師匠は自分も通ってきた道だからこそ、失敗の経験からしか学べない“叡智(えいち)”があることを知っており、あえて簡単に正解を示さない場合を用意しているのです。
苦悩の過程を経なければ、知識や技法は自分の中で腑(ふ)に落ちません。
真に弟子が技を体得するためには、一定期間悩みに悩んで、本人が自力で答えを絞り出さなければならないことがありますが、AIにはこうした指導は到底できません。正解のみを教えるよりも、何十倍もの価値があるのですが、これを実践できるのは生身(なまみ)の人間だけです。
ゆえに師匠は、それが本人にとって必要な通過儀礼だと思うからこそ、口を出さず、もがき苦しむ弟子を黙って、見守ることができるのです。
失敗し、悩んだ状態から弟子がどうするか――。とくに芸道や武道の世界では、理屈や正解を知るだけでは本当の意味の習得とはいえず、自分の頭で考えて、全身で苦しみながら、乗り越える選択が必要不可欠なのです。
逆にいえば、師匠という存在がいるからこそ、弟子は安心して失敗ができるともいえます。
そして、その失敗の経験は必ず成長の糧(かて)となるのです。
核心の部分は、安易に教えようとしない
我流で学んでいる人の場合、学びに躓(つまず)いた時点で、頓挫(とんざ)してしまう事例が非常に多いのとは、きわめて対照的です。
空手のような武道でも、学問でも、音楽でも、そこそこの才能にあぐらをかいて我流で取り組んでいる人は、最初は普通の人より円滑に、迅速(じんそく)に進んでいても、必ずどこかで不振に陥ります。
その際、独学の人は自分がどういう状態で、なぜ停滞しているのかを客観的に理解することができません。
原因がわからないために、同じ場所をぐるぐると回り、解消できない悩みを抱えつづけて、結果として頂上を志したはずの道を、放棄してしまう末路が待っています。我流はAIに学ぶのと同様、結局は損なのです。
一方、師匠についていれば、そのような悲劇は訪れません。
順序を踏んで一から指導を受けてきた弟子がスランプに陥ったとしても、師匠には迷いの森から抜け出す道筋が見えているからです。
かつて自分自身も経験してきた迷路だからこそ、師匠は間違いなく弟子を導くことができるのです。
そのうえで、将来的に重要となる核心部分は、いかなる世界の師匠でも、安易に教えようとはしません。まず、弟子自身に徹底的に考えさせます。
自分で考えてもらうという指導ができるのは、その弟子が正解にたどり着くために必要な要素を、すでに教え授けたという証でもあるのです。
師匠は決して、無理な試練を強いたりはしません。弟子の技術や知識が、ある程度のレベルに達したからこそ、ぶつかる壁であり、陥るスランプであることを理解しているのです。
人間は成長するとともに、悩む内容や質が変わります。その状態を間近で見守り、弟子の性格をも加味しつつ、適切なタイミングで指導をしてくれることこそ、師匠を持つ何よりの有難みといえるのではないでしょうか。
歴史家・作家。1958年大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科卒業後、同大学文学部研究員を経て、現在は大学・企業の講師をつとめながら、独自の史観にもとづく著作活動を行っている。内外情勢調査会講師、中小企業大学校講師、政経懇話会講師。主な著書に『リーダーは「戦略」よりも「戦術」を鍛えなさい』(クロスメディア・パブリッシング)、『豊臣秀長「補佐役」最強の流儀』(ビジネス社)、『十干十二支の大予言』(笠間書院)など多数。立花宗茂をテーマにした『加来耕三が柳川で大河ドラマをつくってみた(RKB毎日放送)』は第57回ギャラクシー賞優秀賞(2019年度)を受賞。テレビ・ラジオの番組の監修・出演も多い。