出典:wikipedia(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kobayakawa_Takakage_(Beisanji_Mihara).jpg)信長、秀吉、家康に重用された大戦略家・黒田官兵衛、秀吉の天下統一を支えた弟・秀長など、いつの時代も成長するリーダーの傍らには、優秀なブレーンが控えている。『軍師の戦略 増補改訂版』(クロスメディア・パブリッシング)から一部を抜粋。限られたリソースで最大限の結果を出してきた乱世の軍師たちの姿から、現代のビジネスに通底する戦略を探る。
即断即決の知将・黒田官兵衛に対し、毛利元就の三男・小早川隆景はあえて思慮を尽くす軍師として知られた。隆景はなぜ、「すぐ決めないこと」を重視したのか?
思慮を尽くす「鈍」の思考

『軍師の戦略 増補改訂版』(クロスメディア・パブリッシング)
隆景はかつて、黒田官兵衛に対し、次のように語ったことがあった。
「貴殿は事を決断して、あとで悔まれることがあるでしょう。なぜならば、貴殿の才知は甚だ敏にして、一を聞いて二も十も知るほどに聡明です。人の話を聞くなり即時に決断なさること、まるで水が高きから低きに流れるようです。そのため、十分に思慮を尽くさないで決断したり、事によっては貴殿の本意でないこともあって、後悔されることもあるでしょう」
隆景は続ける。
「私の才は甚だ鈍いがゆえに、人の話を聞いてすぐに是非を決することが難しいため、心を尽くしてじっくりと思案してようやくその是非をわかることになります。ですので、毎回十分の思慮を尽くしており、既に決断したことについては、是も非も自分の心にあるところをことごとく尽くしているので、後悔することが少ないのです」
隆景はこうも言っていたという。
「官兵衛の智恵は大変鋭敏で、造作なくものごとの是非を決する様子は、まるで切れる刀で竹を二つに割るようだ。天下に及ぶ者はないだろう。しかしながら、ただ才覚武略の誉れはあるが、思慮の誉れはない。自分は官兵衛の才知には遙かに劣る。官兵衛が思慮せずして即時に決断することを、自分はくり返しくり返し思案して、ようやく官兵衛の即時の智恵に及ぶ程度だ。しかしながら、世間の人が自分のことを思慮深いと評するのは、才知が鈍なので、即座に決断することができずに思案を好むからであろう」と。
この話からは、カミソリのように切れる軍師・官兵衛と、いわば鉈(なた)のような軍師・隆景の違いがよく表れているといえよう。
また、あるとき官兵衛の嫡男の黒田長政が、隆景に向かい、分別とはどのようにすれば良いでしょうかと質問した。隆景はこう答えた。
「別に子細などはありません。ただ長く思案して遅く決断するのが良いと思うのです」
長政はさらに「分別するのに肝要のことというのはありますか」と尋ねた。
「分別の肝要は仁愛です。万事を決断するのに、仁愛をもとに分別すれば、万一思慮が外れてもそう大きくは間違いません。しかし、仁愛なき分別はいかに才知が巧みであっても、みな道理から外れて間違っているものです」と隆景は答えたという。
隆景は当初「堪忍」の二字を書いて壁に掛けていたが、後には「思案」の二字に書き替えられたという。我慢するより、思案してその原因を解決することがより重要だと思うようになったからであろう。このことは、成果を出すために、沈断謀慮の「思案」と「仁愛」と「謙虚」の大切さを意味しているといえよう。
合点できぬことは何度も聞き返すものこそ、真の理解者なり。
――小早川隆景
常に門に磔の木がある
隆景は三箇条の遺言を残した。
第一条はこうである。
「天下が乱れても、輝元は差し出て軍事に関与してはならない。ただ自分の領国を固く守って失わない謀(はかりごと)をするべきである。何となれば、輝元には天下を保つべき器量がない。もし身のほどをわきまえず、天下の争乱の謀に加わるか、自分の領国の外への野望を抱くなら、必ず自分の持っている領国を失い、その身も危うくなるであろう」
第二条は次の通りである。
「安国寺恵瓊という僧は非常にずる賢い邪(よこしま)な大佞人で、人の国家をも覆す者だ。彼の謀にくみすれば国家を失うことになる。必ず用心して、恵瓊に欺かれてはならない」
第三は「毛利輝元の領内の港に九州の大名から、屋敷を建て茶屋などを作って、京都との往復の際の休憩所にしたいと言って、宅地を所望してくることがあるだろう。しかし、これは中国をうかがい、兵を入れるための口実となり、毛利家の禍となる。絶対に宅地を貸してはならない」。
ところが、輝元はこの遺言を忘れ、安国寺恵瓊の勧めにのって関ヶ原の戦いで石田三成に味方し、領土を削られる恥辱にあうこととなった。隆景の遺言は少しも違わなかった。
他方、隆景は常に次のように言っていたという。
「人たる者はいつも普段から門に磔(はりつけ)の木、磔柱(はりつけばしら)があると心得よ。なにごとによらず、その所作や行跡に怠りがあれば、この磔柱にかけられると思って、決して油断してはならない」と。私自身も隆景のこの言葉に接するたびに、彼の真剣な生き方に身の引き締まる思いがする。
一方、隆景は常々人の意見をよく用いたという。家臣の武士はもちろんのこと、下々の者であってもその者の詳しいことについてはよく尋ね、良い意見であればこれを取り上げて実行した。しかも、これは誰々という者がいったのでこのようにする、というようにしてほめていた。そのため、人々は進んで隆景に献言したという。
1953年、岡山県生まれ。早稲田大学法学部卒。東京理科大学大学院修了。経営コンサルタント、作家、歴史研究家として幅広く活動。平成ニュービジネス研究所所長、ハードオフコーポレーション(東証プライム)代表取締役社長、特別注意銘柄に指定されたリソー教育(東証プライム)再建、大戸屋社外取締役、経済産業省消費経済審議会委員、駒沢女子大学非常勤講師などを歴任。著書に『軍師の戦略』(クロスメディア・パブリッシング)、『教養としての日本史』(KADOKAWA)、『稲盛和夫と中村天風』(プレジデント社)、『MBAビジネスプラン』(共著、ダイヤモンド社)など多数。歴史に学ぶビジネス戦略や生き方、経営哲学をテーマに講演・研修活動を行っている。