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先行きが見えにくい時代において、今改めて注目されているのが、人文学や哲学、歴史といった「人文知」が持つ価値だ。本稿では、山口周氏と深井龍之介氏の対談を収めた『人文知は武器になる』(文藝春秋)から内容の一部を抜粋。ハイネケンは30年以上にわたり水資源保護に取り組み、その活動は5代前の社長から受け継がれてきた。企業価値を高める上で、なぜ長い時間軸が重要なのか。
アジア的・インド的な哲学が鍵に

『人文知は武器になる』(文藝春秋)
深井 フロンティアがあった時代は、外に新しい資源を取りに行けばよかったので、個人の自由や欲求を追求する、ある種の「野蛮さ」が美徳として機能していました。アメリカの開拓時代を想像するとわかりやすいですよね。でもいまは、土地的にも市場的にもフロンティアがありません。外に出れば必ず誰かとぶつかる。全員が奪い合えば、ホッブズの言う「万人の万人に対する闘争」になって、結局みんなが疲弊します。
だからこそ、どうしても「みんなのことを考える」っていう倫理に移行せざるを得ないんです。
そしてこの倫理の複雑化を加速させたのが、インターネットとスマートフォンの登場だと思っています。すべての人が発信者になったことで、それまでマスメディアが形成していた倫理や世論が一気に多様化した。見方を変えれば、マスメディアはかつて社会の倫理を束ねる機能を果たしていたわけですが、その機能自体が退行しつつあります。
人々はもはや共通の情報源を持たず、SNSのアルゴリズムによって、自分に近い意見しか目に入らなくなったことで、自分の倫理観こそが多数派だと錯覚しやすくなっている。自分のフィルターバブルのなかだけで世界を理解しようとしてしまうわけです。
だからこそ、たとえばトランプ大統領的な倫理観も、賛否の前にまず「理解する」という態度が必要なんですよね。理解をした後に、賛否を示す。理解せずに拒否してしまうのは、ある意味で鎖国時代の態度と変わらない。矛盾する複数の倫理観が並立する世界を前提として、それでも対話できる知性が求められているんだと思います。
そこで鍵になるのが人文知、とくにアジア的・インド的な哲学です。ニーチェ以前の西洋哲学は基本的に「真実は一つ」という前提から出発するので、異なる正義同士が衝突しやすい。一方、アジアやインドの哲学には紀元前から「真実は一つではない」という発想があり、矛盾する複数の真実の並立を許容できます。衝突そのものが害になるいまの時代には、この態度がとても重要です。矛盾する複数の真実が並立することを許容できるという。この態度こそが、いまの世界に必要な「技術」なんじゃないかと僕は思ってます。
8.ビジネスでパラダイム・シフトが起こる
企業が国家機能の一部を担っていく
深井 もちろん、企業もそのような技術を身につける必要があると考えています。
山口 そこもちょっと話してほしいんですけど。
深井 はい。というのも、これからの先の世界で企業を経営するということには、公共性が求められるからです。
その理由は、国民国家が相対的に力を失っていることにあります。国民国家は近代化を進めるための最適解だったわけですけど、21世紀のいまはうまく機能しなくなっています。特に戦後、国民国家は大きく四つの役割を持っていました。国防、土木やインフラの整備、公教育、そして福祉です。国民国家のこの四つの仕事が、それぞれ昔に比べて十分に実行できなくなっています。
現代は国民国家が構造疲労を起こして力を失っているので、その機能の一部を、これからは企業が担っていくようになると僕は見ています。もうすでに通信、エネルギー、交通、物流、データ基盤などのインフラを実質的に運営しているのは企業ですし、社会福祉、介護や、価値観教育も含めた教育も担っていますよね。「企業が国家の機能を代替していく」というのは、国家から正式にバトンを渡されたからではありません。むしろ、社会構造の変化によって生じた「力の空白」を埋める形で、必然的にその役割を担わざるを得なくなった、というのが実情です。
そうした状況下では、単に利益を上げるだけでなく、「あなたの会社は何のためにあるのか」を明確に定義し、提示することが強く求められると考えています。
山口 私もそう思います。政権も社会の空気もメディアの論調もすぐに変わる時代に、企業にとって大切なのは、環境に応じて姿勢を変えるのではなく、「何のために存在しているのか」という問いに対するブレない答えです。企業が長期的に信頼を勝ち得るには、ブランディングや広告ではなく、行動や判断、社会への姿勢に一貫性があることが不可欠です。経済学の基本原則として「過剰なものの価値は下がり、希少なものの価値は上がる」ので、変化の激しい時代においては、変わらずに価値を持ち続けるものは何かが問われます。
企業価値はどうすれば高められるのか
深井 そうですね。企業にこれから求められるのは、金銭的価値というよりは、社会的な存在価値をきちんと説明できることです。社会とどういう関係性を築いて、どういう意味を提供して、どれだけ貢献できるか。「こういう活動をしていることをわれわれはこのように解釈して、こういうふうに意義付けしています」っていう説明ができるかどうかで、企業価値が決まるようになっていきます。
山口 私は数年前、サステナビリティに関する先進的な取り組みをしている欧州の企業を視察したんです。そこで驚いたのが、彼らはESG(environmental:環境、social:社会、governance:企業統治)に関する取り組みを早いところでは1990年代から始めているということです。
たとえばオランダのビール会社ハイネケンは30年前から水資源保護の活動に取り組んでいます。なので当然、複数の社長にまたがってプロジェクトを続けてきているわけです。現在の社長は、若手として働いていた頃に、5代前の社長から「なぜESGに取り組む必要があるのか」について説明を聞いていたので、自分のやっていることが歴史的な流れ、大きなコンテキストの中でどういう役割を果たしているのかという意識がすごくあるんです。自分たちの会社ってなんのために存在するのかという社会的な意義は、5年、10年で考えるようなものではなく、やっぱり50年、100年というコンテキストの中に位置づけたときに初めて見えてくるものです。
一方で、多くの日本企業が採用している中期経営計画のサイクルはせいぜい数年ですね。人間が集まって数年でできることなど高が知れていますから、これでは構想が小さくなるのも当然だと思います。
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。ライプニッツ代表。1970年東京都生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『コンテキスト・リーダーシップ』など。
1985年島根県生まれ。2009年、東芝に入社し経営企画に配属。その後、複数の企業を経て、2016年にCOTENを設立。会社を経営するかたわら、Podcast番組「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」のパーソナリティを務める。